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みちのくの踊り 次代に 豊作祈願や鎮魂 ビデオ頼りに学生らと復興

菊地和博

10月27日、山形市内で開かれる北海道・東北ブロックの第61回民俗芸能大会で、私の勤め先である東北文教大学の民俗芸能サークル「舞」は「谷(や)柏田植踊(がしわたうえおどり)」を披露する。山形県からは日本四大舞楽の一つとされる「林家舞楽」と並んでの出場だけに自然と力が入る。

谷柏田植踊は大学のある山形市谷柏地区に江戸末期か明治初期ごろから伝わる民俗芸能だが、担い手不足で二十数年前に途絶えた。そこで3年前から、研究者である私は学生や「谷柏田植踊保存会」を結成した地元住民の方々と復活に取り組んできた。保管されていたビデオ映像をもとに、これまでに4演目を踊れるようになった。

学生からなる通常8人の踊り手は、保存会の人々が吹き鳴らす横笛や陰太鼓、そしてお囃子(はやし)に合わせて、掛け声や口上を織り交ぜながら体を動かす。前列中央に「中太鼓」、両側で棒を振る2人の「源内棒」、さらに女装して花笠をかぶった5人の「早乙女」という構成だ。活動は2、3年生が中心だが、多くが「地域の人と触れ合うことができ、やってよかった」と言って卒業していく。

田植踊り、シシ踊りなど東北の民俗芸能に興味を持ったのは約20年前。山形県東根市で生まれ育った私は高校教師や博物館学芸員として石碑・石仏や最上川文化を研究してきたが、対象の多くは有形のものだった。そこで芸能という新しい分野に挑んでみたいという気持ちが芽生えた。後継者不足で存続が危ぶまれていたため、早く始めなければとの思いもあった。

民俗芸能を探るため、東北各地を100カ所以上回った。次第に実態が見えてきた。例えば田植踊り。稲作を模した動作をする田遊びや平安期に遊芸化した田楽など類似の民俗芸能は全国各地にあるが、田植踊りは東北、しかも秋田県仙北市の「生保内田植え踊り」は田遊びの一種だから、現在は福島、山形、宮城、岩手の4県に限られる。

谷柏田植踊のように早乙女がいる例もあれば、いない例もある。踊りの形もそれぞれ異なっている。しかし、全般的により舞踊化され、躍動的になっているのが特徴だ。

田遊びなどと大きく異なるのは、1月15日の小正月に個々の家を訪ねて踊る門付け芸能として発展してきた点だ。東北では冷害による飢饉(ききん)が多かったことが、「今年は豊作に恵まれますように」という年初の切実な祈りにつながったのだろう。

もっとも、時代とともに変化もみられる。35組ほどある山形県内の田植踊りのうち、門付け芸の形を完全に残しているのは大蔵村合海(あいかい)地区の「合海田植踊」だけだ。しかし、時期は高度成長の時代から小正月ではなく、田植え終了を祝うさなぶりに合わせた6月第1日曜になっている。

シシ踊りは一部を除くと東北と関東に集中するが、関東では疫病払いや雨乞いという目的が多いのに対して、東北ではほとんどが鎮魂供養のためだ。実際、北秋田市の「荒瀬獅子踊」「比立内(ひたちない)獅子踊」はお盆の時期、まず共同墓地で踊った後に別の場所に移る。これは岩手県岩泉町の「釜津田鹿踊」、青森県弘前市の「乳(にゅう)井(い)獅子舞」なども同様だ。シシ踊りは飢饉による餓死者の霊を弔うことで共同体を守る役割があったと考えられる。

2011年の東日本大震災後、大きな被害にあった岩手県大槌町では、「臼澤鹿子踊(うすざわししおどり)」が犠牲者追悼と復興祈願のために踊られた。それを見た被災者は励まされたと聞く。今後も私は調査・研究を通じて、その役割の大きさを訴えていきたい。(きくち・かずひろ=東北文教大学特任教授)